人気ブログランキング | 話題のタグを見る

くいしんぼの折返しのくらしとごはんです


by akitagurasi
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28

復興

復興_b0349598_06232350.jpg

息子朝飯。
良く寝た。それに3連休は息子の用事が特になかったのもあり、久しぶりに暇だなと思った。
いつもお休みの前は作りたい料理や、やらなくちゃいけないこと、買うものをメモ書きしているけど、それもクリアした。
寝すぎて顔がパンパンだ。

暴風と霙の1日。終日忙しい。肩がバキバキに凝った。

帰宅したら阪神・淡路大震災についてテレビで流れていて、随分あれから経ったんだなあと父が言う。
2カ月ばかり行ったなあとも言う。
阪神・淡路大震災では神戸、東日本大震災では岩手沿岸、新潟県中越沖地震でも仮設住宅を作りに父は何か月も泊まりで仕事に行っていたそうだ。
ホテルなんか勿論ないから自分も仮設住宅や被災していない家に仲間と泊り作業をしていたようだ。
どんな様子だったかを父は特に言わないけど大変だったんだろうな、復興に携わったんだなと思う。

Commented by nonkonogoro at 2026-01-14 09:39
31年前の阪神淡路大震災の時には
遠く 秋田から お父様も 仮設住宅建設に来てくださっていたのですね。 感謝します。。。

当時 学校の校庭もテニスコートも公園も
仮設住宅で埋め尽くされました。

私の家は大丈夫でしたが
水や食べ物の確保に 右往左往していたので
仮設住宅を訪問することも 何の援助もできませんでした。

当時の記憶は薄れがちになりますが
たくさんのボランティアの方々 建設関係の方
本当にたくさんの方のお世話になっていたことを
あらためて 思い返します。

個人的には お風呂に入れてもらったり
洗濯をさせてもらったり~
お米を貰ったり~ お風呂の湯沸し棒を貰ったり。。。

1月17日は 鎮魂と感謝の日です。

Commented by caramel-421 at 2026-01-14 10:10
お父様、素晴らしい仕事をされたんですね。不自由な事も沢山あったでしょうね…

お父様はジャンボ尾崎に似た感じとの事ですが、きっと体格が良いんですね。
私の父は、若い頃のアルバムを見ると舟木一夫系統です。そのまんま、爺さんになりました。
Commented by higashinuma at 2026-01-14 10:54
生家の方もニュースで暴風と雪のニュースで出てますが、akitaさんの方も大変ですね。
この前、東日本地震の時に生まれた隣の子と多分7,8年ぶりに逢いました。小さい時は一緒に遊んだ事もあり。親御さんが他人と接しない躾?・・幼稚園にも入れて無かったし、遊ぶのは家から離れた公園で家族だけという、何で?・・で、もう中学2年生。その間一度も会って無かった。でも、覚えていてくれた。イケメンに育ってました。
Commented by kako at 2026-01-14 15:51
こんにちは 今日は暴風雪ですね 寒いです
あの日 1月17日 鎌倉市在住の頃、会社の創立記念日で休みでしたのでよく覚えています。たいへんな場面をぬくぬくとテレビで見ているのは言いようがない気持ちでした。積極的なボランティア活動をしていた方方には頭が下がりました。この時は微力ながら寄付等で協力できました。
そして2011年3月11日 秋田市は実被害はありませんでしたが、我が自営業は大打撃で困窮しました。で、自分のことでいっぱいいっぱいの状態、阪神淡路の時のようには復興に協力できず、そんな自分が情けなく悲しくなりました。
数カ月して、震災後すぐに飲料水のタンクローリーを被災地に運んだ人から聞いたところによると、とても文章にはできない悲惨な話や、リーダーシップを発揮して頑張ってた各地のお母さん達の話を伺い、とても教訓になり忘れないでおこうと思いました。
しかし… だんだん年取ってきて、何か起きたとき各地のお母さんのようにちゃんと対応できるか不安になってきました。
お父様 悲惨な現場でのお仕事さぞかしご苦労され、大変だったと思います。
長々と失礼いたしましたが、思い出させていただきありがとうございます。震災のあった日を迎えるたびに思い出し忘れないでおこうと思います。
Commented by akitagurasi at 2026-01-15 02:54
> nonkonogoroさん
そのあたりにお住いの方だよなあと思ってました。
おうちが大丈夫だったのは幸いでしたね。
でもやっぱり色々不自由があったんですね。

私は当時学生で実家にはいなかったのです。
茫漠とした不安感がありましたけど、転機だった時期で自分のことで手一杯で他の事を考える余裕がなかったのです。
なのでボランティアとか父が仕事で神戸へいったとか、そういう記憶が一切ないんですよね。
よくないことです。
本当に特別な日なのだなと思います。



Commented by akitagurasi at 2026-01-15 03:00
> caramel-421さん
東日本大震災時は、現地に出かけて随分してから洗濯機が使えるようになって助かると父が電話してきたと母が話してました。仕事はとにかく頑張る人なのでお力にはなれたのではと思います。

若いころの父は缶ジュースとラーメンで生きていて、太鼓腹で身長は高くはないのですが、ニッカ―ボッカー履いてパンチパーマでガタイがよかったんです。
今は病気の治療も経験したせいかやせてしなびけてジャンボ尾崎の半分ぐらいです。
舟木一夫系爺さんいるいるいるいるいる!!笑
Commented by akitagurasi at 2026-01-15 03:03
> higashinumaさん
電車が遅延せず朝行ったのが驚きでした。
雪よりも昨日は冷え込みが厳しくて、今日は少しゆるむようですがどうかなあ。
事故やケガがないようにしたいです。。

ほう、特殊な感じのご家庭ですね。何か思うところがあるんでしょうね。
でも覚えていてくれたのは何より。
挨拶もしてくれたのでしょう?いいこですよ。うん。

Commented by akitagurasi at 2026-01-15 03:12
> kakoさん
さむかったですねえ。
鎌倉にお住まいだったんですね。そうかそうか。私も当時は実家にはいませんでした。

11日も東海地方に住んでいたので心配でしょうがありませんでした。
わが県の知人、家族は大丈夫でしたが、東北地方の知人は皆被害にあいました。
皆身を寄せ合ったりしてなんとか持ち直していています。

家業が打撃をうけるのは本当に大変です。
まずは自分の立て直しでいいんだと思います。
私はいつも何かの時に備えなくちゃと思うけどやらないの。
自分に何かあったときのこととかね。よくない。
昨日寒い中新聞をとりにでて、ここで被害にあったらパジャマとフリースの私は多分すぐどうにかなってしまうんだろうなと怖くなりました。
父の一言でなんだか色々考えてしまいました。
by akitagurasi | 2026-01-13 23:59 | 雑記 | Comments(8)